古医書を読む姿勢(3)
2007 / 03 / 14 ( Wed ) 昨日のブログでは、古医書を読む姿勢から、古医書の全体性のお話しをしました。古医書は、網の目のように複雑に絡み合いながらも、相互連携の全体的な統一性をもっています。網の目は全体の中の部分であり、全体は部分を統一する大きな視点でもあります。
この古医書が持っている全体性は、実は人体そのものといっていいかもしれません。人体は、肝臓や心臓、骨といった部分を持ちながらも、生命活動を行うために全体性を保っています。生命活動の全体性を維持するためには、人体の部分はどこにも無駄がなく、必要不可欠に存在しています。この人体が持っている部分と全体という連携は、古医書の体系と奇しくも同じになっているように思います。複雑に絡み合う全体性である人体を捉えたら、そのままその記述も同じような体系になったということでしょうか。 このような視点で古医書を読む姿勢を持ちますと、古医書の記述が活き活きしてきます。そして、“本当にこんなことがあるのかな?”と思えるところも、古医書の部分と全体性という特徴を意識していくと、“ああ、このことか”と腑に落ちることがしばしばあります。 このような姿勢は、自分の鍼灸という仕事へ直接フィードバックしてきます。しかしそれだけではなく、このような姿勢は、人生のいろいろな場面を考えるときの姿勢にもつながっていくような気がします。それは古医書のもっている特徴が、複雑な人のありようにもつながっていく東洋思想の現れだからかもしれません。 そして今日も、古医書を一ページ、また一ページとめくっていくのでした・・・。 |
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堂主様
先日は、真奈美の想いにコメントありがとうごさいます
ランクリまでしていただいて、感謝です(*´∀`*)
どうぞヨロシク!仲良くしてね