カンディンスキーと青騎士展
一昨日の日曜日、休日を利用して『カンディンスキーと青騎士展』に行ってまいりました。
カンディンスキーと言えば、ロシア生まれの画家で、美術理論家としても著名な方。そして抽象画の創始者の一人として、絵画の可能性を広げたことでも有名です。青騎士とは、カンディンスキーを中心にして集まった画家グループのことで、今回はカンディンスキーの作品とともに、青騎士に参加した画家の作品群をまとめて見ることができるというものでした。
チケットにもデザインされている『印象Ⅲ(コンサート)』1911年は、以前テレビで観たことがありました。たしかテレビ東京の「美の巨人」だったと思います。
その絵はこちらなのですが、
あの番組を見ていなかったら、この絵がどれだけセンセーショナルであったのか、どれだけ絵画史上に足跡を残すものなのか、たぶん何もわからなかったと思います。ちなみに真ん中の濃い緑色のものはグランドピアノで、たての白いものは会場の柱。そして手前のにょきにょきしたのは観客とその喝采。この絵は、カンディンスキーがその演奏によってインスパイアされた感情を、あまり時間をかけずに一気に仕上げたそうですが、一気に仕上げた割りに、そのバランスといい、その色といい、すべてに洗練された緻密な知性をも感じさせます。感情という抑えがたい衝動を、理論家であるカンディンスキーが抽象という形で融合させていくところが、当時の画壇にとってはとてもセンセーショナルで、ある古典的なグループにとっては、下劣なものと映り、ある意味脅威にも感じていたのかもしれません。
カンディンスキーの当時の恋人で、ミュンターという女性の作品がいくつかありました。残念ながら私がここでお見せしたい作品は絵葉書になっていなかったので、ここに出すことはできないのですが、私はその絵を観て、失礼ながらもそのおかしさに吹いてしまいました。正直最初に浮かんだ感想は、「これはあまりに下手うますぎるだろう~~。まるで小学生の絵だなぁ~。」というもの。しかしおそらくその絵を描いた当の本人ミュンターは、「かなりいい出来だわ」なんて思ったに違いないのですが、それはどうしてだろうなぁと思ったのですが・・・。そこで岡本太郎先生のことを思い出したのです。岡本太郎先生は、「子供の絵にこそ束縛されない自由があり、生きる生命力に満ちている。」ということをかつておっしゃっていました。そうです、自由に描くこと、生命力に満ちるということ、知性に偏りすぎず、テクニックに向かいすぎないその衝動にこそ、人は感動するのかもしれません。うまくは言えないのですが、抽象画と言うのは、単に勢いだけでヘタウマで描いているのではなく、衝動と理性とをうまく兼ね備えつつ、瞬間でひらめくものを形にするものなのかなと、素人ながらに思ったのです。
岡本太郎先生は、晩年、ジミー大西氏に、「キャンバスをはみでろ!」とアドバイスしたそうな。意外にもジミー大西氏は、絵を描く前に定規で目盛りを入れたりしながら段取りをして描くそうです。太郎先生は、ジミー大西氏の作品を見て、そのあたりの小ささ加減を喝破したのかもしれません。
と、いつのまにか太郎先生の話が被ってきてしまいましたが、カンディンスキー。
抽象絵画というものが世の中に誕生する。抽象絵画が世の中に定着する。それはものすごく画期的なことだったに違いありません。抽象画は、子供絵と間違うようなヘタウマのようでもあり、古代の人が描いた素朴な壁画のようなものでもあり、その世界は“わからない”となんとなく敬遠したりしてしまいがち。しかしそうではなく、誰もが幼少期に持っていた衝動が根底にあり、それを大人が表現するということは、とても勇気のいることであったに違いありません。
カンディンスキーと言えば、ロシア生まれの画家で、美術理論家としても著名な方。そして抽象画の創始者の一人として、絵画の可能性を広げたことでも有名です。青騎士とは、カンディンスキーを中心にして集まった画家グループのことで、今回はカンディンスキーの作品とともに、青騎士に参加した画家の作品群をまとめて見ることができるというものでした。
チケットにもデザインされている『印象Ⅲ(コンサート)』1911年は、以前テレビで観たことがありました。たしかテレビ東京の「美の巨人」だったと思います。
その絵はこちらなのですが、
あの番組を見ていなかったら、この絵がどれだけセンセーショナルであったのか、どれだけ絵画史上に足跡を残すものなのか、たぶん何もわからなかったと思います。ちなみに真ん中の濃い緑色のものはグランドピアノで、たての白いものは会場の柱。そして手前のにょきにょきしたのは観客とその喝采。この絵は、カンディンスキーがその演奏によってインスパイアされた感情を、あまり時間をかけずに一気に仕上げたそうですが、一気に仕上げた割りに、そのバランスといい、その色といい、すべてに洗練された緻密な知性をも感じさせます。感情という抑えがたい衝動を、理論家であるカンディンスキーが抽象という形で融合させていくところが、当時の画壇にとってはとてもセンセーショナルで、ある古典的なグループにとっては、下劣なものと映り、ある意味脅威にも感じていたのかもしれません。
カンディンスキーの当時の恋人で、ミュンターという女性の作品がいくつかありました。残念ながら私がここでお見せしたい作品は絵葉書になっていなかったので、ここに出すことはできないのですが、私はその絵を観て、失礼ながらもそのおかしさに吹いてしまいました。正直最初に浮かんだ感想は、「これはあまりに下手うますぎるだろう~~。まるで小学生の絵だなぁ~。」というもの。しかしおそらくその絵を描いた当の本人ミュンターは、「かなりいい出来だわ」なんて思ったに違いないのですが、それはどうしてだろうなぁと思ったのですが・・・。そこで岡本太郎先生のことを思い出したのです。岡本太郎先生は、「子供の絵にこそ束縛されない自由があり、生きる生命力に満ちている。」ということをかつておっしゃっていました。そうです、自由に描くこと、生命力に満ちるということ、知性に偏りすぎず、テクニックに向かいすぎないその衝動にこそ、人は感動するのかもしれません。うまくは言えないのですが、抽象画と言うのは、単に勢いだけでヘタウマで描いているのではなく、衝動と理性とをうまく兼ね備えつつ、瞬間でひらめくものを形にするものなのかなと、素人ながらに思ったのです。
岡本太郎先生は、晩年、ジミー大西氏に、「キャンバスをはみでろ!」とアドバイスしたそうな。意外にもジミー大西氏は、絵を描く前に定規で目盛りを入れたりしながら段取りをして描くそうです。太郎先生は、ジミー大西氏の作品を見て、そのあたりの小ささ加減を喝破したのかもしれません。
と、いつのまにか太郎先生の話が被ってきてしまいましたが、カンディンスキー。
抽象絵画というものが世の中に誕生する。抽象絵画が世の中に定着する。それはものすごく画期的なことだったに違いありません。抽象画は、子供絵と間違うようなヘタウマのようでもあり、古代の人が描いた素朴な壁画のようなものでもあり、その世界は“わからない”となんとなく敬遠したりしてしまいがち。しかしそうではなく、誰もが幼少期に持っていた衝動が根底にあり、それを大人が表現するということは、とても勇気のいることであったに違いありません。
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