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漢字の保存

 私の名前は、「郁保」と言います。

 あまりない名前ですので気に入っておりますが、しかし、現在中国で使われている簡体字の本を読むようになり、ちょっと待てよとすごく愕然としたことがあります。

 それは、私の「郁」という字は、現代中国語の簡体字では、「鬱」の略字として使われているのです(苦笑)

 これを初めて知ったのは、古医書の簡体字版を購入したときに、「鬱」という病症が、「郁」になっていたからです。何で自分の名前が「病気の名前なのだ~」と驚くやら悲しくなるやら・・。まぁしょうがないと思いつつも、もし現代中国人、つまり11億とも言われる人々が、私の名前を見たら・・・となんだかやるせない思いも。

 しかし、今年の一月に、研究会にお呼びした大東文化大学の教授である林克先生のお話では、簡体字と略字の元の漢字の間には、全く意味の関連性はなく、単純に音が同じで、表記が簡単な漢字で代用したものがほとんどだと聞きました。これで郁=鬱の意味はないんだなぁと、私の杞憂は消えたのですが、この事実を知ると、そもそも簡体字なんて作って欲しくなかったと言うのも本音としてはあります。

 このような簡体字と繁体字(本来の漢字)との間の無意味なつながりは、漢字本来の発祥や機能を完全に無視しているように思います。本来は意味のある形象から発した漢字が、意味のないものと結びついているのですから、かなりラディカルな簡略ではないかと思うのです。
 これは、現代中国においても、文化を守るという意味では一つの問題にもなっているようです。昨日お話しました白川静先生の研究のように、本来漢字には古代から受け継ぐ人々の思いが詰まっており、それが文化というものを形成しきた歴史があります。そこには、とても積み重なる重層的な文化の厚みがあり、漢字の成り立ちを学ぶことで、現代にも通じる“生きること”を実感することにも通じていきます。しかしそれが完全に消されてしまい、簡単に書ければいいという合理性だけで、本来の漢字の使用が妨げられたら、文化としての価値はなくなってしまいます。これは、漢字そのものの危機と言ってもいいかもしれません。文字や言語の放棄は、民族のアイデンティティの放棄にもなりかねません。毛沢東は中国の近代化を推し進める中で、漢字の使用を止めて、全てローマ字表記するという発想まであったそうなので、漢字文化圏の者としては、そこまでいかなくてよかったなぁと思うわけです。

 逆に、一部の漢字を除いて、現在の日本のほうが、中国よりも漢字を大切にそのままの状態で保存して使っていると
言えます。ある古医書の部分がわからなく、中国人にその原文を見せたところ、「わたしは古い漢字が読めませんから、わかりません。」と言われてしまったことがあるのですが、これなどは、中国で漢字が失われていることを意味するのかなと思ったことがあります。

 現在日本の鍼灸も、本治法・経絡治療といった面では、中国よりも保存されているものがあり、ある面では中国よりも進んでおります。中国は清朝末期から続く激動の社会の動乱の中で、鍼灸の古い形が失われていった経緯があり、逆に日本には残されていたものがあります。日本で出版された中国の古医書が、逆輸入という形で中国にもたされた物もたくさんあります。これは、漢字の本場である中国が、簡体字という簡略化された漢字を使うことで、漢字本来の意味を薄めていき、逆に日本では古い漢字が使われ続け、文化として保存されているというのと似ているように思います。

 古医書を読むには、漢字が大切になります。漢字の文化圏で育ったことは、本治法・経絡治療というものを実践する者にとっては、とても幸運なことなんだと思います。

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