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Author:源保堂鍼灸院・堂主

表参道・青山エリアにある源保堂鍼灸院のブログです。東洋医学・健康の話しをはじめ、治療院の日常、堂主・スタッフの情景などを綴っています。


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熱闘・甲子園!(4) 第91回全国高等学校野球選手権大会

 昨日は選手の異名・ニックネームについて書きましたが、本日は指導者・監督の異名を書いてみたいと思います。

【攻めだるま】
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 池田高校の名物監督であった蔦文也監督。バットの芯を外しても、腕力があれば遠くへ飛ばせるという金属バットの特性を活かし、とにかく上半身の筋力アップを徹底した蔦イズムの浸透により、池田高校の打線は、“山びこ打線”と命名された。蔦監督自身、1940年に、徳島商業の投手として甲子園に出場。その後同志社大学へ進学し、野球部に所属するも、学徒動員によって特攻隊員となる。復員後は都市対抗野球に出場したり、1950年には投球フライヤーズに所属し、一年間プロ野球選手にもなっている。池田高校野球部監督は1952年からはじまり、1992年に監督を勇退。2001年、波乱に富んだ人生にピリオドを打つ。
 水野雄仁を要した池田高校の黄金時代をはじめ、甲子園を沸かせた名物監督として今も皆の記憶に残る。“攻めだるま”の異名を持った蔦監督の攻め重視の高校野球のスタイルは、選手のトレーニングの近代化を進め、それまで一人のエースが投げ抜くスタイルから、複数投手による継投スタイルへと進化させた。
* 春:出場7回・21勝5敗・優勝2回(1983年、1986年)・準優勝1回(1974年)
* 夏:出場7回・16勝6敗・優勝1回(1982年)・準優勝1回(1979年)
* 通算:出場14回・37勝11敗(勝利数は2006年夏現在、歴代6位)・優勝3回・準優勝2回

【尾藤スマイル】
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 和歌山県の古豪、箕島高校の野球部監督であった尾藤公の笑顔は、“尾藤スマイル”と名付けられていました。尾藤公監督は1966年に就任。監督三年目には、西武ライオンズで活躍した東尾修投手を擁して、春の選抜で初の甲子園を経験する。
 箕島高校と言えば、なんと言っても、1979年夏の3回戦での星稜高校との対決。延長18回によって、箕島は辛くも勝利することとなる。この試合は、“神様がくれた贈り物”として、今でも多くの高校野球ファンの間で語り継がれている。
* 春:出場8回・22勝5敗・優勝3回(1970年、1977年、1979年)
* 夏:出場6回・13勝5敗・優勝1回(1979年)
* 通算:出場14回・35勝10敗(勝利数は2006年夏現在、歴代7位)・優勝4回

【木内マジック】
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 木内監督の名前を全国区にのし上げたのは、1984年の夏の甲子園での優勝ではないでしょうか。1984年の夏の甲子園の主役は、なんと言っても、1年生から甲子園を沸かせていたPL学園のKKコンビ。誰もがその活躍と、PL学園の優勝を疑わない年でした。そんな中、取手二高は、石田文樹投手、吉田剛選手を軸にして、決勝まで進出。そして、延長10回の末、8-4でPL学園を破って全国優勝を果たしました。途中石田投手は、頭に血が上り冷静さを失ってしまう場面がありましたが、それをいち早く察知した木内監督は、一時石田投手をライトの守備に回し、ほとぼりが冷めたところで再び投手に戻すという離れ業を見せました。この気分転換によって、石田投手は息を吹き返して最後まで投げきることができました。このときから、木内監督の采配には“奇策”、“戦術”が多く、誰ともなく“木内マジック”と呼ばれるようになる。2004年頃には現場を引退していたが、2007年に再び監督就任。そのときには、「死ぬまで監督をして下さい。」と理事長に依頼されたそうです。また、東北楽天イーグルスが誕生した時には、その監督候補として木内監督の名前が巷で上がるほど、野球を知り尽くした監督と言われています。
* 取手二高時代 8勝5敗(春2回、夏4回(優勝1回))
* 常総学院総合成績46戦32勝14敗
   (春5回(優勝1回、準優勝1回)、夏11回(優勝1回、準優勝1回))
   (2009年現在も、木内監督の挑戦は続いている・・・。現在歴代5位の勝ち星)


 他にも帝京高校の前田監督、横浜高校の渡辺監督など、名物監督が甲子園では今も活躍しております。


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