『教科書では読めない中国史』 富谷至著
2006 / 11 / 18 ( Sat )
今年も残すところ一月と半分となりました。 振り返ってみますと、今年は研究会に携わっている時間が多かったように思います。鍼灸師として、学問と技術の研鑽は常日頃から行っているものですが、このように研究会に一年通して前に出て話す機会は少ないものです。前に出て話しますと、もちろん緊張はしますし、会場の先生からの突っ込みや質問も入ります。厳しい状況の中ではありましたが、この学問と技術の二つを同時に力を注げたことは、とても光栄なことであったと思います。そういった意味ではとても充実した一年だったと思います。 研究会では『中国史と中国医家』という表題で5回連続の講義を行いました。少しテーマが広すぎたかなと、発表が始まってから戸惑いもありましたが、何とか無事に終えることができました。 高校時代は世界史を選択し、中国の歴史も学びました。そして大学では経営学部へ進んだのですが、貿易論のゼミでは主に中国経済の躍進とその貿易についてを研究し、卒論はアジアの経済圏をまとめました。 振り返ってみるとそんな流れで中国史とは縁がありました。今回この研究会での発表も中国史と関連していまして、中国史をおさらいしながら“東洋医学”という新たな視点で中国史を読み返すことができました。こういったことを改めてしておくことで、より幅広く東洋医学・鍼灸医学というものを捉えることができたと思います。 今回冒頭に紹介しました本は、50の幅広いテーマで書かれており、とてもわかりやすい記述です。中国への理解を深めるためにも、楽しいと思いますのでお勧めいたします。 昨今高校生の履修科目の問題が出ています。これは受験勉強の弊害とも言われていますが、私はそうは思いません。 受験勉強といいますと、受験のための勉強と思われがちですが、勉強には変わりありません。ですので、受験勉強といいながらも、勉強をするのですから知識や教養が身につくはずです。うまく利用すれば自分自身の人生を豊かにする助けになると思いますし、活きた勉強をすることも可能だと思います。そして、ここで得た知識や教養を元に、その後の人生の学びの基礎を作ることも、受験を通してできるはずです。履修科目の問題が起きるのは、受験勉強が悪いのではなく、“なぜ勉強をするのか”ということを教えてくれる先生や周りの人が少ないからではないでしょうか。 勉強や学問というものは、本来自分のためにするものです。幅広くいろいろなことに触れることは、頭の活性化にもつながります。たくさんのことを吸収できる高校時代に、受験という枠にとらわれて自分のための勉強が狭まってしまってはとてももったいないことだと思います。 現在私は東洋医学の原点である『黄帝内経』『難経』といったものをはじめとし、様々な古医書をレ点や一二点などがない白文の状態で漢文を読んでいます。これは、高校時代に逃げずに漢文も勉強したおかげだと思います。このように人生には無駄がないもので、いつか必ず役に立つことが多いものです。役に立つというのは、受験やテストといった狭い意味ではなく、自分自身の活きる糧を授けてくれるという意味で、大きな助けを得ることができると思います。 と、長々と書いてしまいました・・・。 大人の方にもこの本はもちろんお勧めですので、中国史に興味ある方もない方も手にとって読んでみてください。忘れていた高校時代の歴史の時間、つまらなかった授業を楽しく思い出させてくれる一冊です。
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