健脚・伊能忠敬
2006 / 04 / 18 ( Tue ) ![]() 地下鉄・門前仲町駅周辺は深川不動、富岡八幡宮、閻魔堂などが集まった都内の“江戸下町”パワースポットの一つである。 皆様は伊能忠敬と言う方をご存知でしょうか? 歴史の授業などでご存知と思いますが、伊能忠敬は日本を測量し、正確な地図をつくった江戸時代後期の人です。この伊能忠敬が第一次測量の旅に出たのが、1800年の4月、この門前仲町にある富岡八幡宮からでした。伊能忠敬はこの富岡八幡宮で測量の成功と旅の安全を祈願し、強い思いを秘めて旅立ちます。当の伊能忠敬は56歳でありました。現在でも56歳の男性が日本全国を歩くということはかなり大変なことだと思いますが、当時は今よりも更に困難ではなかったかと思います。しかもただ歩くのではなく、正確な地図を作るという信念と実行をしながらですから、その意志の力の強さを感じぜずにいられません。 伊能忠敬は千葉県・佐原村の旧家出身で、家業もこなし、飢饉もしのぎ、かつ地元の人々への施しも忘れない慈悲の心を持った方でもあります。そして、学問に対する好奇心を忘れない人でもありました。40代で早々と伊能家の家督を譲り、自らは江戸に出て西洋暦学、天文学を学び始めます。このとき伊能忠敬が師事した師匠は、伊能忠敬の19歳年下の高橋至時(たかはしよしとき)でした。一回り以上も年の違う人に師事し教えを請う、という伊能忠敬の姿勢は、今よりもさらに上下関係の厳しい当時にあっては異例のことであったと思われますが、学問への好奇心と“大事をなしたい”という強い思い、そして伊能忠敬自身の、プライドを捨てた謙虚な姿勢がそれをなさしめたのだと思います。伊能忠敬は1818年に73歳の生涯に幕を閉じますが、遺言により浅草源空寺の高橋至時のお墓のそばに葬られました。19歳年下であっても、師匠は師匠。自分の学問の基礎をつくってくれた師匠への愛を感じます。 人が“大事をなそう”とするとき、何がその人を動かすのか・・・。その意志や実行を支える健康もまた“大事”であり、その健康が日本全国をくまなく歩む“健脚”を生み出したのだと思います。そしておそらく伊能忠敬もまた、芭蕉同様に足三里のお灸を愛用していたのではないでしょうか。 富岡八幡宮境内入り口にある伊能忠敬の銅像を前にして、涙が止まらず立ち尽くしました。 先日紹介した俳人・松尾芭蕉と今日の伊能忠敬と、門前仲町は“健脚”の町でもあります。下町情緒を味わいに、周辺を散歩することをお勧めいたします。 |
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