東北パワースポット -盛岡篇(2)-
2006 / 05 / 30 ( Tue ) 藤原パーラーで教えいただいたルートで、「啄木荘」の次に訪れたのが、今日紹介する三ツ石神社です。
藤原パーラーの女性店員さんのお話では、「あまり期待しないほうが・・・。意外と小さいので・・・。」ということでした。しかし行ってみるとそんなことはありませんでした。確かにこの巨石にまつわるお話が「岩手」という地名の由来になったにしては、境内は小さいような気がしました。しかし、この三つの岩の大きさを目の当たりにしますと、とても「小さい」とは形容できません。境内は狭いですが、それを補ってあまりあるほどこの岩は強い力を持っているように感じました。 ![]() 三ツ石神社は現存する盛岡市内の神社では最古の神社と言われており、神社の名前の由来にもなっているこの三つの巨石は、岩手山が噴火したときに飛んできた火山弾だそうです。 そして「岩手」と言う名の由来は・・・。 その昔、羅刹という悪さをする鬼が里を荒らしまわっていました。これに困った人々は、この三ツ石の神様に鬼退治を祈願しました。この人々の懇願を受け入れた三ツ石の神様は、鬼を捕らえました。鬼は命乞いをしました。そこで三ツ石の神様は、二度とこの地へやってこない証として、鬼にこの岩に手形を残させました。 この「岩に手形」という昔話から、「岩手」という名になりました。 里から鬼が退治されたことを祝い、人々は三ツ石の神様に踊りの奉納することになりましたが、これがこの神社に伝わる「さんさ踊り」の始まりと言われています。また、盛岡を別名「不来方(こずかた)」とも言うそうですが、これは「鬼が二度とこない」という意味があるとも伝えられています。 GWの旅は遠野から始まりましたが、遠野でも巨石にまつわるところを巡りましたが、奇しくもこの盛岡でも巨石を目にすることになりました。そして、岩手という地名そのものが巨石と関係することをこの三ツ石神社で知ることになり、巨石と言うキーワードでつながる旅となりました。 そして近くに「鬼の手形」への案内看板がありました。 ![]() 英語の案内がイカシテいます。 DEMONS' HAND PRINTS IN THE ROCKS “ロック魂”を感じさせます・・・。 |
東北パワースポット -盛岡篇(1)-
2006 / 05 / 24 ( Wed ) ![]() GWに遠野を訪れた後、盛岡へ向かった。 盛岡でも面白い出会いがあり、その方に盛岡市内のルートを考えてもらった。そしてそのルートの一つにあったのがこの櫻山神社である。 「桜山さん」の愛称で親しまれている櫻山神社は、盛岡駅から徒歩で20分くらいだろうか。盛岡城址のある岩手公園の入り口に鎮座している。境内はそれほど広くなく、観光としてきた人は見過ごすくらいのものである。しかし、ちょうど桜が咲いていた時期だったせいもあったのか、神社の前を通るとやわらかい陽射しに包まれているようなイメージがあり、なんとなく惹きつけられるものがあった。 小さい神社であるが、この櫻山神社は、盛岡藩の総鎮守として地元の多くの人々から篤く信仰され続けてきた神社です。寛延二年(1749)に盛岡藩主三十三代南部利視公が、二十六代南部信直公の遺徳を偲び、盛岡城内の淡路丸に勧請したのが始まりだそうです。 神社の由緒によりますと、ここでは毎年1月26日、冬の祭り「裸詣り」が行われ、しめ縄を背に、晒しにけんだいわらを垂れた姿の男衆が、凍える大地を草鞋で踏みしめ練り歩くという伝統行事があるそうです。一月の岩手といったら、かなり寒いだろうと、この由緒を読んだだけでぶるっと震えがきました。 この櫻山神社の横にある階段を登っていくと、この写真にある烏帽子岩を拝むことが出来ます。まるで小錦のような体型をした巨大な岩ですが。見るものを圧倒する迫力があります。山奥にあるのではなく、この盛岡の中心街にあることが、またその異様さを感じさせます。この岩が当初からここにあったのか、それともご神体として持ってきたものか分かりませんが、巨石にはとても大きな力が込められているような感じがします。 近くにあった看板を読みますと、この境内で、この烏帽子岩と同じような石を見つけると無病息災になるそうです。境内はきれいに清掃されているので、石を見つけるのは難しいようでした。 遠野から見てきた巨石の数々。 東北のパワースポットを巨石と言うキーワードで読解してみるのも面白いかもしれません・・・。 |
東北パワースポット -遠野編(6)-
2006 / 05 / 16 ( Tue ) 「ある日淵へ馬を冷やしに行き、馬曳きの子は外へ遊びに行きし間に、河童出でてその馬を引き込まんとし、かへりて馬に引きずられて厩の前に来たり、馬槽に覆はれてありき。家の者馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば河童の手いでたり。」
−『遠野物語 第58話』柳田国男より 現在の遠野は「民話のふるさと」として町興しをしており、それが成功している街である。遠野駅に併設されている観光案内所には、昔話を語る語り部の部屋があり、無料でその話を聞くことができる。柳田国男の『遠野物語』をはじめ、多くの民話や昔話のふるさととして愛される街になり、これまでいくつか紹介してきたように、街の風情もそこかしこに民話の世界を残している。訪れた人々はみなその世界に引き込まれていくのではないだろうか。 その民話の世界でも、また『遠野物語』の中でも印象深いのは河童ではないだろうか。街のいたるところに河童をモチーフにしたものがあふれていたりする。観光案内所からは河童の歌がとてものんびりとゆるく流れいていたりする。 ![]() この柳田国男の河童の話が採取されたのは、この写真の川、通称かっぱ淵と呼ばれている。かっぱのいる街・遠野を訪れたからには、のかっぱ淵を外すわけにはいかない。このブログに紹介した他のパワースポットは、少し歩かなければいけないこともあり、少し観光スポットからは外れるのかもしれない。そのため私が訪れた時には他に誰もいなかったが、このかっぱ淵はさすがに人が来るところとなっていました。 かっぱ淵は思っていたよりも小さな川でした。しかしその川の水はとてもきれいで、流れの早い川でした。もしかっぱ伝説がなければどうということない川であるが、周りを歩いてみると、とても清々しい雰囲気があります。ここで思いっきりし呼吸をすると、気持ちがとてもさわやかに、楽なる感じがしました。 このかっぱ淵に行くためには、常堅寺というお寺を通っていくのですが、このお寺の仁王門にある仁王像は、江戸時代のもののようですが、京都や奈良にあるような仁王像とはうって変わり、なんともごつごつとしたガンダムのような感じのするもので、どことなくユーモラスなものでした。さらにその仁王門をくぐってすぐの左手には、十王堂というものがあり、そのお堂の両脇にはかっぱ狛犬と言う狛犬があります。この狛犬の頭の上には窪みが作られており、かっぱのお皿のように水がたまるようになっています。その昔寺が火時にあったときに、かっぱ淵に住むかっぱが火を消したということがあり、それいらい祭られるようになったといわれています。 遠野の観光案内では「かっぱ捕獲許可証」なるものが販売されていました。今は人がたくさん訪れるので、かっぱもそうそう現れてくれないでしょう・・・。しかし、誰も見ていないとき、もしかしたらかっぱが現れるかもしれません・・・。もしかっぱを見たら、どうかこっそり教えて欲しいものです。 |
東北パワースポット -遠野編(5)-
2006 / 05 / 15 ( Mon ) ![]() 「遠野の町の愛宕山の下に、卯子酉様の祠がある。その傍の小池には片葉の蘆を生ずる。昔はここが大きな淵であって、その淵の主に願をかけると、不思議に男女の縁が結ばれた。また信心の者には、時々淵の主が姿を見せたともいっている。」 −『遠野物語拾遺 第35話』柳田国男より 遠野の駅から自転車で10分弱くらいのところにこの卯子酉大明神がある。境内や社にには赤い布がたくさん結ばれている。この赤い布には、みな恋の成就の願いが書かれている。冒頭に掲げた柳田国男の文章にもあるように、ここは男女の縁を結ぶ神様と言うことで、全国から恋の成就を願う人々が訪れるそうだ。どうして恋の成就に効くのか定かではないが、小さな社にもかかわらず、これだけ多くの赤い布が奉納されているところを見ると、その願かけの効果は多大なものなのだろう。 「卯子酉大明神」という名前もまた、個性的なような気がする。 十二支を方位と季節に割り当てると、卯=真東・春分、子=真北・冬至、酉=真西・秋分に当てはまる。この三方向、三つの季節の分岐点の性格を名前に現しているものと推測される。逆に見ると、真南・夏至に当たる午が入っていないことになる。 これらのことからいろいろと思いを巡らしてみる。 まず方角的なものだが、方位磁針を持っていなかったので確かめることは出来なかったが、もしかしたらこの社のある位置は、遠野の中心地点(かつての中心地)から見て南に当たるもので、その南をこの社で補ったのかもしれない。また、その逆に、こちらの方角は東野の中心点から北、東、西を指す地域だったのかもしれない。 また、酉→子→卯の間の季節の進行は、秋→冬→春を意味するので、葉っぱを落として種になる季節を意味し、地中の話になり、人間で言えば再生と胎児などを現わしているのかもしれない。 一方赤い布であるが、赤は南の色なので、この赤い布で足りない南の気を引き寄せているのかもしれない。また、赤といえば女性の月経の色を表すことも少なくないので、女性=子孫繁栄という願いを込めたのかもしれない。もう一つ赤といえば、火であるが、卯子酉大明神のすぐ傍には、火伏せの神様で有名な愛宕神社がある。愛宕神社の神様が赤であるとすれば、卯子酉様はその他を補うために、もしくは愛宕の神様に遠慮して火を持つことをためらったのかもしれない・・・。 以上は私の勝手な推論であるが、もしかしたらもっと深い意味があり、その意味ゆえに男女の縁に効験を現わしているのかもしれない。 どういうわけか、赤い布に混じって定期券や切符なども納められていた。これはおそらく最近になってからの伝説なのであろう。 もし恋にお悩みの方がいましたら、この卯子酉大明神を訪れてみたらいかがでしょうか。遠野の自然と暮らしを見ながら、恋の疲れを癒すのもいいかもしれません・・・。 |
東北パワースポット -遠野編(4)-
2006 / 05 / 13 ( Sat ) 「綾織村字山口の羽黒様では今あるとがり岩という大岩と、矢立松という松の木とが、おがり(成長)競べをしたという伝説がある。岩の方は頭が少し欠けているが、これは天狗が石の分際として、樹木と丈競べをするなどけしからぬことだと言って、下駄で蹴欠いた跡だといっている。一説には石はおがり負けてくやしがって、ごせを焼いて(怒って)自分で二つに裂けたともいうそうな。松の名を矢立松と言うわけは、昔田村将軍(坂上田村麻呂)がこの木に矢を立てたからだという話だが、先年山師の手にかかって伐り倒された時に、八十本ばかりの鉄矢の根がその幹から出た。今でもその鏃(やじり)は光明寺に保存せられている。」
−『遠野物語拾遺 第10話』柳田国男より ![]() 続石を見学した後、自転車を遠野駅のほうへ走らせた。 地図には羽黒岩という文字があるので、それも気になっていたのだが、地図を見ると、車道からはまた何分か歩かないといけないようなので、今回は無理かなと諦める。 また来ればいいやと自分を慰めつつ、大きな国道と平行するように走る普通の街を横切る道を走っていた。すると大きな石碑と下駄の形をした石碑が見えてきた。なんだろうと見てみると、そこがまさしく羽黒岩の入り口であった。 先ほどまで羽黒岩を見るのは諦めていたが、この入り口を見てしまったからには見に行かないわけにはいかない。 そこで自転車を道路わきに置いて、羽黒岩までの山道を歩いていく。少々疲れていたのか、息を切らしながら登っていく。お世辞にも整備されているとは言いがたい山道である。遠野は民話のふるさととして町興しをしているように、観光資源が多いところである。しかしこのように手を加えすぎないようにしてあるところが、いい意味で遠野の魅力を引き出しているように思われる。遠野ふるさと村や伝承園など、作られた観光施設は人の往来も多いが、これまで見てきたパワースポットは観光のメインではないようで、ひっそりと一人で楽しみながら歩くことが出来る。 羽黒岩に手をやる。 すると岩が語りかけてくる。あたりは人気もなく、静かである。松の木に囲まれ、木漏れ日の中‘岩の言葉’に耳を傾ける。岩の力強い力が、自分の中にも満ちてくるような感じがした。 |
東北パワースポット -遠野編(3)-
2006 / 05 / 12 ( Fri ) 「綾織村山口の続石は、この頃学者のいうドルメンというものによく似ている。二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横に乗せられ、その下を鳥居のように人がお通り抜けて行くことが出来る。武蔵坊弁慶の作ったものであるという。」
−『遠野物語拾遺 第11話』柳田国男 ![]() 遠野の駅から自転車で20分くらいはかかったろうか。途中上り坂をこぎながら、五月の強い陽射しを受け、汗をかきながらたどり着いた。駐車場に自転車を置いてさらに山道を10分くらい歩くと、この続石(つづきいし)がある。 冒頭の柳田国男の文章にあるように、組み上げられた巨石の間はちょうど一人余裕で通れるくらいになっている。柳田が喩えたとおり、ここには山上様の祠があるので、もしかしたら鳥居の役目をしたのかもしれない。もしくは胎内くぐりのような、再生(生まれ変わり)の儀式に使われたのかもしれない。 それにしてもこの巨大な岩を、どのように組み上げたのだろうか。世界的にも、日本国内でも巨石文化と呼ばれるものがいくつかあるが、大きな岩には何かが宿っているのかもしれない。手を触れてみると、岩の鼓動が伝わってくるような気がする。 この続石の周辺には他にも泣き石、不動岩というものがあり、無言にたたずむ巨石の迫力が伝わってくる。 遠野にはこのような巨石だけでなく、小さな岩もご神体として祀っているところもあるようで、また、このブログでも紹介したように各地に石塔が建てられており、また男根を象ったコンセイサマというものも石を彫って出来ている。このようなものを見ると、‘石’というものが遠野を紐解くキーワードの一つのようにも思える。 ![]() 「綾織村の続石とて珍しい岩のあるところの少し上の山に入り、両人別れ別れになり、鳥御前一人はまた少し山を登りしに、あたかも秋の空の日影、西の山の端より四、五間ばかりなる時刻なり。ふと大なる岩の陰に赭き顔の男と女とが立ちて何か話をしてゐるに出逢いたり。」 −『遠野物語 第91話』柳田国男より 続石を後にして、何か気になって再び続石のほうを振り返ってみると、そこには神様がいるような・・・。神様が宴をしている声が聞こえるようでした・・・。 |
東北パワースポット -遠野編(2)-
2006 / 05 / 10 ( Wed ) ![]() 「四方の山々の中に最も秀でたるを早池峰といふ。北の方附馬牛の奥にあり。東の方には六角牛山立てり。石神といふ山は附馬牛と達曾部との間にありて、その高さ前の二つよりも劣れり。大昔に女神あり、三人の娘を伴ひてこの高原に来たり、今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸に止まりしを、末の姫眼覚めてひそかにこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、つひに最も美しき早池峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三つの山に住し、今もこれを領したまふゆゑに、遠野の女どもはその妬みを恐れて今もこの山には遊ばずといへり。」 −『遠野物語』柳田国男 第2話より 早池峰神社を参拝し終え、あたりを散策してみた。そして一通り周りを歩いた後、携帯の時計に眼をやってみると、帰りのバスまでまだ4時間近くあった。 ベンチに座っているのも退屈なので、出来るだけ歩いてみようと次のバス停を目指してひたすら歩くことにした。猿が石川の上流のせせらぎを聞きながら、そして時折うぐいすの声を聞きながら歩いていく。土手に目をやるとふきのとうがたくさんあり、また、山の桜がちょうど満開から散り始めるような時であったので、ようやくやってきた東北の春を味わいながら歩を進めた。 山道を抜けると、少し開けたところに出てくる。ベンチもあるのでそこで一息ついた。そしてまた携帯に眼をやると、時間はまだまだたっぷりある。他にすることがあるわけでもなく、立ち上がりまた次のバス停を目指す。 集落を抜けると少し上り坂が始まり、周りに家はなくなる。たしかここへ来るバスの中から、一つ祠を見たことを思い出し、まずはそこまで目指すことにした。 途中宅急便の車に追い抜かれたり、何台か車が往来し、それらに追い抜かれるたびに、心の中で冗談っぽく「乗っけてってくれー」と叫んでみたりした。 そして2,30分くらい歩いた頃だろうか、ようやく目指していた祠らしきものが眼に入ってきた。 近づいてみるとそこには「神遺神社」と書いてあった。 ここにはどんな神様を祀ってあるのだろうと、立て看板に目をやる。するとそこには、今日のブログの冒頭に書いた『遠野物語』の一節が引用されていた。 どうやら早池峰、六角牛、石上の山をいただいた三人の女神が泊まった宿が、ここにあったらしい。立て看板があることにはあったが、観光名所とは程遠いもので、ひっそりと立っている印象であった。まさかここにそのような、遠野の歴史を語る上でも重要なものがあるとは予期せぬことであり、驚きと感謝の気持ちで参拝させていただいた。もしこの日早池峰神社にバスで来ることがなければ、帰りにこのように歩くことはなかったわけで、歩いていなければ完全に通り過ぎるものであった。それを思うと、この出会いも偶然ではないのかなと、そのときは軽く思った。 そしてそれが偶然ではなく、必然だったのか・・・、それともある偶然が次の必然を産み出したのか・・・、摩訶不思議な体験をこの直後にすることになったのである・・・。 |























